武吉の俳句帳

有名無名句の英訳を試みます。俳句と英語の修行を兼ねて。

2)私の俳句英訳作法

私の俳句英訳作法です。英語俳句と大きく重なりますが、違いもあります。

作法1:元句の意味と詩情を簡潔に伝える。

作法2:「/」 による3分割の1行詩とする。

作法3:音節数は問わない。

作法4:頭文字に大文字は使わない。ただし、固有名詞と(私の意の)I を除く。

作法5:句読点はコンマのみを使用。

作法6:元句にない語を加えることがある。

作法7:元句にない繰り返しを入れることがある。

 

解説:

作法1:努力目標です。この理由は、そもそも俳句の英訳を試みたきっかけが、外国の友人に日本の俳句 (Haiku in Japanese) とは何かを理解してもらうためだったことに由来します。

 そのため、俳句に何が詠まれ、どんな詩情が込められているのか、を俳句にふさわしい、簡潔な英語で例示する必要がありました。また、詩情を伝えるためには英訳そのものを英語の詩として成立させる努力も必要でした。

 一般に翻訳は字面を訳すのではなく、意訳が基本とされます(参照)。俳句英訳でも同じだと考えます。元句の語順も尊重はしますが、それには拘りません。

作法2:俳句が音節による3分割の1行詩であることを踏まえたものです。ただし、自由律俳句は3分割に拘りません。

作法3:俳句の韻律を英語に移すことは端から考えませんでした。たとえ、俳句を外国の人々に理解してもらうためだとしても、その韻律(音節で5-7-5のリズム)や韻を英語の詩に持ち込むことは無謀で、その努力は報われないと考えます。英語には英語のリズムと韻があるからです。

作法4:英語俳句 に習いました(「英語俳句とは」参照)。散文的にならない効果があるように思います。

作法5:分割記号「/」が句読点代わりになります。コンマだけは別途必要。

作法6:付加される語に訳者の解釈が現れ、訳が散文的・説明的になる恐れもあります。しかし、俳句に馴染みがなく、文化的背景も異なる読者の理解を助けるためには許されてよいと考えました。

 具体的には、元句で音節に余裕があれば入ったかもしれないと思われる言葉(「隠れ語」と呼びましょう)があれば、これを訳に加えることを考えることになります。もちろん詩趣を損なわない範囲で。

 加えるかどうか、加えるとしたらどの語をどのように加えるかの判断が、訳の的確さ・成否に大きく影響しそうです。加えることで英語のリズムが整うなら、むしろ積極的に加えても良いと思います。

 本ブログ初回芭蕉の句の echoes、佐藤文香さんの句の unfolds、3回目の平川玲子さんの句の after 、5回目池田澄子さんの while adimiring などが私の見つけた隠れ語です。

 それを言わず読み手に委ねるのが俳句であって、英訳であってもそれを出すのは邪道という意見も当然あるだろうと思います。それは作法の違いとして見ていただくしかありません。

 作法7:英訳を英語の詩として成立させるために必要でした。作法3と併せると、日本語の元句のリズムは捨てて訳の中で英詩としてのリズムを新たに整えることになります。もちろん、リズムを整えるためには繰り返し以外の配慮も必要になります。

 

考察:

要素語

 英訳を試みて気づいたことは俳句は3〜7語の要素語からなることでした。助詞などを除いた数です。

 英訳でも元句に含まれるのと同じ数の要素語が必要になります。

 これに前置詞や冠詞、接続詞を絡ませたり、動詞の活用形を工夫したり、(私の意の)I 、さらに上述の隠れ語などを加えたりすることによって元句の意味や詩情の再現を試みることになります。

名詞

 名詞は単数とするか複数とするか、冠詞をなしとするか a とするか the とするかで見える情景がかなり異なってくるため、どれが元句に近いかの吟味が必要です。

 とはいえ、日本語ではこのあたりがそもそも曖昧なので悩むところです。正解はない場合がほとんどかもしれません。でも俳句の読みを深めるにはとても良い訓練になると思います。さらに、英語の名詞の取扱を学ぶのにも。

切れ字の特殊ルール

 英訳において俳句の切れ字(「かな」、「や」、「けり」)をダッシュやコロン、アンダーバー などで置換するというルールを導入している例があるようです(1, 2)。さらに、英語俳句においてこうした形式で切れ字を入れることを規則としている例も見られます(3)。

 私の訳では切れ字についてこうした特別処理をしていません。切れ字は分割を含む訳全体の構成や英語表現の工夫によって置き換えるべきと考えるからです(4回目芭蕉句参照)。

 英語俳句における特殊ルールによる切れ字の導入も避けたほうが良いと私は考えます。それは英語俳句を英語として不自然なものとし、むしろ詩の成り立ちを阻害するように思うからです。

切れ字は埋め字?

 切れ字は詠嘆、感動、断定などを表すと説明されることがあります。この説明が間違いではないとしても、これだけでは切れ字の根本的な働きを見逃してしまうように私は感じます。それは、音節数を増やして言葉を「大きく」し、その独立性を高める働きです。

 例えば、3文字の言葉に「かな」が付けば、俳句の基本音節数5に届きます。同様に、4文字の言葉に「や」が付けば、5に届きます。この働きによって、その言葉が単独で俳句のリズムの基本単位を構成できることになります。

 最初から5音節の言葉であれば、その言葉を切れ字なしでぽんと置くだけでも詠嘆、感動、断定の感じが出てきます。

 結局、詠嘆、感動、断定などは、切れ字の根本的な働きというより、言葉の「字足らず」を補う切れ字の働き—いわば「埋め字」としての働き—によって生じる派生効果と言えるのではないでしょうか。

 このように切れ字を理解すると、切れ字は日本語の5-7-5のリズムの中で初めて生きてくることになります。5-7-5のリズムを問わない英訳俳句あるいは英語俳句に、切れ字を特殊な表現形式として持ち込む意味はないと思われます。

 

補足:「」について

 俳句で「」といえば暗黙に「桜」を意味します。私の英訳でも「」は「blossoms」とし、私の想定する読者(外国の友人)にはこれが暗黙に「cherry blossoms」を意味することを別途伝えています。こうした俳句世界の暗黙の了解は訳し込むより、それを別途伝えた上でその前提に立つ英訳をした方が、日本語の俳句がどういうものかや俳句世界で桜が占める位置づけなどについて、より良く理解してもらえると考えています。

 

最後にお願い:

 このブログで扱った俳句の作者に英訳の了解を得ているわけではありません。問題があれば、どうぞご指摘いただければ幸いです。

 なお、本ブログに出す訳はすべて私自身が楽しみで行った独自の試みですが、既出の訳とかぶる可能性は常にあります。なるべくチェックは行いますが、チェック漏れの可能性もあります。あればご指摘ください。

 訳はどのような文脈であっても(つまり、肯定的でも否定的でも)引用していただいて構いません。その場合、訳者を「武吉」あるいは「 Bukichi」と明示していただければ嬉しいところです。

 

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